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「ヤールマルカ」 Ярмарка とは、ロシア語で「見本市」の意味があります。 「ニジェガローツキー・ドヴォール」お立ち寄りの記念に、地理やロシアの話題など、どうぞ気軽に楽しく見本市を賑わして下さい。
No.912 ウクライナの美しいサイトに感謝 ニジェガロージェッツ [2013/12/02(月)23:54:30]
Loraさん、書き込みありがとうございます。
レスが遅くなってしまい申し訳ございません。
ここ数年は拙サイトの更新が滞っており、Lonaさんのお言葉をもったいなく感じておりま
す。
これからもロシアの地理データを追っていきますので、どうぞ末永くお付き合いいただけ
れば幸甚です。

リンクしてくださったLoraさんのウクライナのサイトは丁寧につくられて、美しい写真が
多く添えられていて大変綺麗ですね。
ウクライナの歴史や街々の素晴らしさが伝わってきます。
美しいサイトありがとうございます。
参考: http://lorart.net/index.html
No.911 素晴らしいサイトですね。 Lora [2013/11/23(土)18:54:52]
ロシアを知る貴重なサイトですね。
たいへん面白いです。
長く続けて下さい。
参考: http://lorart.net/
No.910 Re: スターリングラード 市名復活 ニジェガロージェッツ [2013/02/03(日)23:33:05]
ツポレフ154さん、スターリングラード復活についての記事ご紹介有難うございます。恥
ずかしながら、小生すっかり見逃しておりました。

さて、記事によれば本格的な旧名復活ではなく、2月2日のスターリングラード攻防戦終決
日、5月9日の対独戦勝記念日などの年間で6日程度の限定復活のようで、イベント的なも
ののようです。
期日限定とはいえ、公式に復活したことでヴォルゴグラードのことを単純に「旧スターリ
ングラード」とは言えなくなるのでは?

「独裁者スターリンに対する肯定的な評価を危惧する」とか言われているようですが、ヴ
ォルゴグラード市が独ソ戦で英雄的な貢献をした「英雄都市」の称号を与えられた特殊な
都市であることから、スターリングラード=「独裁者スターリンの街」というよりは「英
雄都市スターリングラード」として賛えるということのように感じます。
恒常的にスターリングラード市に戻したり、更にはケメロヴォ州ノヴォクズネツク市を「
スターリンスク市」に、トゥーラ州ノヴォモスコフスク市を「スターリノゴルスク市」に
戻すようでしたら、正にスターリン賛美以外の何物でもないでしょうけれども。

#個人的には、同じロシア発のニュース記事に「讃岐うどん」の丸亀製麺モスクワ1号店
オープンが報じられていますが、そちらも気になります。丸亀製麺の本社が神戸市にある
とは知らなんだ・・・
No.909 スターリングラード 市名復活 ツポレフ154 [2013/02/03(日)06:52:54]
おはようございます。

昨晩のYAHOOニュースに”スターリンの町 市名復活”という記事が載りました。その中
で参考として本サイトが紹介されています。いつまでこの記事が読めるかわかりませんが
、よろしければ
ぜひどうぞ。
参考: http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/russia/?1359825694
No.908 時間改革の功罪 ニジェガロージェッツ [2013/01/04(金)20:52:16]
ツポレフ154さん、明けましてお目出とうございます。こちらこそ、今年もどうぞ宜しく
お願いいたします。

ご紹介いただいた朝日新聞1月3日記事「時を超えるロシア少女」、図書館に出向きコピー
してきました。
これによると、ロシアで世界標準時が採用されたのはロシア革命後の1919年(これはちょ
っと意外)。
当初ウラジオストクでは日本と同じ標準時+9時間であったのが、スターリン時代の1930
年に節電のため全土の時計を1時間進め、1981年には夏時間の導入で夏期は更に1時間プラ
スされたとのこと。夏時間以外の本来の時間は「冬時間」と呼ばれ、この冬時間が2011年
の時間改革で廃止され、結果ウラジオストクの時間は日本より2時間進んだ状態で固定化
されたという解説でした。なるほど。

「時を超えるロシア少女」の自宅があるサマラ州(モスクワ時間)と、学校のある東隣の
オレンブルク州(エカテリンブルク時間)の時差は2時間。サマラ州へは96年に私も行っ
たことがありますが、この時代はモスクワ+1時間の「サマラ時間」がありました。2011年
の時間改革によりモスクワ時間との統合でサマラ時間が廃止された結果ですが、30分の通
学のために「2時間30分」も早く家を出なければならないこの地域の住民にはさすがにき
ついでしょう。
私が1989年に稚内港から樺太へ向かったときには、稚内港でソ連船「サハリン9号」に乗
船したのが確か夜の8時でしたが、船内に一歩入ると11時になっており、「もう寝る時間
だ」みたいな雰囲気でした。こんなのを毎日繰り返していると、さすがに健康に響きます
。
時間改革の結果、精神疾患が20%増え、心臓血管系の疾患や交通事故も15%増えた地域が
あったことが記事では紹介されていましたが、十分考えられることです。

面白い記事のご紹介ありがとうございました。
参考: http://dvor.jp/time_zone.htm
No.907 時差の記事 ツポレフ154 [2013/01/03(木)11:44:28]
ニジェガロージェッツ様

本日の朝日新聞首都圏版国際面(2013.1.3付)に”時を超えるロシア少女 複雑な九つの
時間帯”という記事が載っています。
ウラジオストク特派員の西村大輔氏の記事です。

・サマラ州からオレンブルク州への通学をしている女の子が、通学時間は30分なのに時
差が二時間ある。

・西村氏自身も管内に四つの時間帯、更に日本・中国・モスクワとの間に時差があるので
こんがらがる。

・元ウラジオ副市長によると、市幹部がモスクワの指示を受けるため交代で宿直する必要
があり大変。

などのことが載っています。

首都圏版の記事ですが、国際面ですので京阪神版にも載っていると思います。よろしけれ
ばぜひどうぞ。
No.906 あけましておめでとうございます ツポレフ1543 [2013/01/03(木)11:23:29]
ニジェガロージェッツ様

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
No.902 人口増加傾向に転じたロシア ニジェガロージェッツ [2012/06/21(木)00:52:45]
白桃さん,ヴォロネジの件,恐縮です。

: 関係ない話ですが、当地、浦安はさきほどまで物凄い強風が吹き荒れてました。そちらは
: どうでした?四国にいた頃でも、こんな強い風、あんまり記憶がありません。

こちらは神戸でも強い風は吹きましたが,それほど強烈なものではありませんでした。雨
も少な目でした。台風4号の進路が東に逸れたので大したことはなかったのですが,同じ
兵庫県内でも姫路方面では大雨になっていたようです。
台風の進行方向に対して,右先側に当たる地域では風雨が強まると聞きますから,首都圏
ではこちらより台風の影響をまともに受けたのではと察します。被害のなきことをお祈り
申し上げます。

さて,ロシアの2010年国勢調査人口についてまとめているところですが,この当時のロシ
アは人口のターニングポイントにあったと推測されるので,ちょっと興味深いところです
。
ロシアでは1993年ごろに人口のピークを迎え,その後は出生に対して倍程度の死亡が記録
され,人口減少が進んでいました。ロシアに対して10年以上遅れつつも,日本も同様に人
口減少時代に突入してしまいましたが,それが近未来に回復基調に転じるという予想は聞
きません。
ところがロシアではここ2年ほど人口増加に転じています。
以下,近年1月1日現在の推計人口を並べてみます。なお,国勢調査以前のデータは修正さ
れていませんので,若干上方修正されるべきものとしてご覧ください。
#100万人近くの誤差が出たモスクワ市人口(2010年1月10,563,038人→同10月国調11,503,501
人)の分だけかさ上げされた感がありますが・・・

ロシア総人口
2006年 142,753,551
2007年 142,220,968
2008年 142,008,838
2009年 141,903,979
2010年 141,914,509
国勢調査 142,856,536(2010年10月14日)
2011年 142,865,433
2012年 143,056,383

国情が全く違うので,ロシアが日本の先を行くモデルにはなり得ませんが,ソ連崩壊後の
混乱や不況によって将来を不安視した90年代当時は出生が減り,21世紀に入ってからの好
況により大都市圏を中心に一転して出生が増え,また旧ソ連諸国などの周辺国からの人口
流入による社会増がついに人口増加にまで押し上げたように感じます。

: それはそうと、エカテリンブルクに抜かれましたか・・・。
ニジニ・ノヴゴロドの人口減は相変わらずで,このままでは近い将来にカザンにも抜かれ
そうです。
小生の住む神戸市もまた,今年は着実に人口減少を辿っており,数年のうちに福岡にも川
崎にもノヴォシビルスクにも抜かれそうです。
No.901 ヴォロネジの件、ありがとうございました。 白桃 [2012/06/20(水)01:20:45]
首記について、ご丁寧に教えていただき感謝申し上げます。
ニジェさんの全露国勢調査人口とりまとめ、大変なシゴトかと思いますが、完成するのを
期待しております。
それはそうと、エカテリンブルクに抜かれましたか・・・。

関係ない話ですが、当地、浦安はさきほどまで物凄い強風が吹き荒れてました。そちらは
どうでした?四国にいた頃でも、こんな強い風、あんまり記憶がありません。
No.900 Re: ヴォロネジの人口について ニジェガロージェッツ [2012/06/20(水)00:46:33]
白桃さん,ようこそお越しくださいました。こちらこそご無沙汰しております。
グリグリさんの落書き帳では相変わらずのご活躍の由。マガジンの編纂にも取り組まれる
とか,頭が下がります。

小生も2010年全露国勢調査の人口をまとめているところですが,まだ人口10万人以上の都
市しかUP出来ておらず,何とも根気が続かないと言うか,遅い仕事でお恥ずかしい限り
です。
(それにしても,ヤクーツク市とクラスノヤルスク市の人口急増が個人的に気になって仕
方がありません)

さて,ロシアのヴォロネジ市の人口についてですが,中央連邦管区においては,モスクワ
に次ぐ第二の大都市です。参考のため,過去の国勢調査人口を以下にまとめておきます。

ヴォロネジ市人口
1897年  80,599
1926年 116,576
1939年 343,555
1959年 447,164
1970年 660,182
1979年 782,950
1989年 881,805
2002年 848,752
2010年 889,680

1992年の地図帳で25万人未満の都市記号になっているのは,白桃さんのご賢察どおり,単
純な誤りでしょう。1989年以降では,特に分市などの行政区域の変更もありませんでした
。

同じく90年代,ある有名出版社の地図帳にカムチャツカ半島南部のオホーツク海岸に人口
10〜50万人の「オクチャブリスキー」という都市が突如出現していたことがありました。
確かに,その都市記号の書かれた地には「オクチャブリスキー町」という都市集落が存在
し(2010年に村に降格したようですが),その人口は1989年―3,853,2002年―2,331人と
いう小集落に過ぎません。
これは,おそらく同名のオクチャブリスキー市という10万都市がウラル南西のバシコルト
スタン共和国にあり,それとを取り違えたものだと勝手に推測しています。

ヴォロネジの場合,他に同名を名乗る都市はロシアにはなく,イヴァノヴォ州とアルタイ
地方に小さな農村集落がある程度です。他にはウクライナのスーミ州に「ヴォロネジ町」
という都市集落が存在しますが,こちらも人口1万人に満たない町です。いずれも外国の
地図帳に載るようなものとは考えにくく,これらと取り違えたとしても「25万人未満の都
市記号」には結びつきそうもありません。
考えられるとすれば,ヴォロネジ川に沿って市の南38kmにある「ノヴォヴォロネジ市」と
の混同。平たく日本語で言って「新ヴォロネジ市」で,文字通り1987年に市制が敷かれた
若い都市ですが,ここも人口3万人程度。これも厳しそうです。

やはり,単純な記号間違いかな?
No.899 ヴォロネジの人口について 白桃 [2012/06/18(月)00:39:31]
ご無沙汰しております。物議を醸すことの多い白桃です。
退職を機に、ニジェさんのような立派なものは無理としても、人口に関するホームページ
を立ち上げようと思いつつ、全然できないでいます。前に進もうとする気力の無さに自分
自身が呆れております。
久しぶりに覗かせていただいたら、ロシアの2010年国勢調査がアップされており、興味深
く拝見いたしました。
一点、教えていただきたいのですが、ヴォロネジ市の人口は昔から多かったですよね?
というのは、私が持っている1980年の地図帳では50万人以上の都市の印がついているのに
、1992年の地図帳では25万人未満の印になっているからです。
1992年の地図帳の誤りだと察するのですが、何かお心当たりがあれば、お教え願います。
変な質問をしてすみません。
No.898 この8年間のロシアで最も人口の減少した都市 ニジェガロージェッツ [2012/05/24(木)00:09:46]
2010年10月14日にロシアで行われた全露国勢調査(ВПН-2010)の人口データの確定値
が徐々に公表されてきました。
拙サイトでは近年は更新が滞っておりましたが,これを期に都市人口データなどの書き換
え作業を進めてまいります。
ただし,結構な物量ですからすぐにとは行きませんが,出来たページから逐次UPしてい
きますので,しばらくお待ちいただければ幸いです。

因みに前回の2002年国勢調査と比べてのタイトルの都市はニジニ・ノヴゴロド市。減少割
合こそ4.62%ですが,実数では60,633人の減少です。
参考: http://dvor.jp/city.2010census.htm
No.897 七野 ニジェガロージェッツ [2011/09/18(日)00:31:17]
ツポレフ154さん,「夢野サリー」についての書き込み有難うございます。サリーちゃん
につきましては,幼い頃に少しだけテレビ見た(「観た」ではありません)ことがある程
度で,反応が出来ず申し訳ございません。
代わりに小生の地元の話題にて恐縮ですが,地名について少し。

: 神戸市に”夢野”という地名があることは存じませんでした。

「夢野町」という町名からは,近代の市街地化に際して付けられた佳名のようにも感じら
れるかもしれませんが,実は奈良時代まで遡る古い地名です。

平安時代の京都洛北には「京都七野」という,7か所の「野」があり,内野,北野,平野
,点野,紫野,蓮台野,上野のことを言ったそうです。また,「柊野」を七野の一つに数
えるという情報もあるのですが,小生京都については土地勘がなくよくわかりません。

そして地元でもほとんど知られていませんが,神戸にも「神戸七野」という7か所の「野
」があり,小野,北野,平野,宇治野,夢野,西野,春日野・・・だったかと記憶してい
ます。
ただし資料によっては「西野」が欠落して「真野」が入っていたり,「春日野」が怪しか
ったりと,ばらつきがあります。他にも須佐野や熊野という町名もありますが,これらは
該当しないようです。
北野町,平野町,夢野町,真野町は現存する町名で,小野についても三宮付近に小野柄通
,小野浜町があり,春日野は阪急,阪神の駅に「春日野道」があります。
宇治野と西野は今では神戸の地名から消滅していますが,宇治野はJR線で言えば神戸〜元
町間の山側あたりの旧村名に,西野は長田区東部の旧長田村の字に明治期まで残っていま
した。

これら「神戸七野」については福原遷都(1180年)の頃に存在した地名を,洛北の「京都
七野」にちなんで呼んだと記憶しています。
No.896 魔法使いサリー 続き ツポレフ154 [2011/08/26(金)22:15:22]
こんばんは。
ニジェガロージェッツさん
神戸市に”夢野”という地名があることは存じませんでした。ご説明ありがとうございま
す。

先日、横山氏が書いた原作の「魔法使いサリー」(講談社)読みました。その本文やあと
がき(正確には氏がほかで書いたものを再収録)などからみて、サリーちゃんの人間界で
の本名”夢野サリー”は兵庫区夢野からとった可能性が高いと思います。

@原作に「千早川の大水害」を扱った作品があります。氏が長年、東京都豊島区千早(地
下鉄有楽町線・副都心線要町駅の近く)に住んでいたためこの川の名前になったのでは?
と思うのです。もっとも、千早川は大阪府千早赤阪村にあるのでそれからとった可能性も
ありますが。

Aあとがきで氏は、”この作品は歌の文句のように女の子に夢と希望を与える作品です”
といった趣旨のことをを書いています。

Bですから、”女の子に夢を”という氏の気持ちと出身地の実在の地名が合わさって”夢
野サリー”になったのではと思うのです。

なお、「魔法使いサリー」の該当する部分の歌詞は

1番 (前略)サリー サリー 不思議な力で街中に 夢と笑いを振りまくの(後略)
2番 (前略)サリー サリー 魔法の言葉を唱えると 愛と希望が飛び出すの(後略)
【山本清 作詞・小林亜星 作曲】
です。

Cニジェガロージェッツさんが紹介されたロシア語の映像は、第二作のものです。「サリ
ー」は1966年に第一作が作られました。最初の少女アニメという記念すべき作品です。そ
の後、二番目の少女アニメである「ひみつのアッコちゃん」(原作:赤塚不二夫)のリメ
イク(再制作)が好評だったのを受けて、1989年に第二作の「サリー」が作られたのです
。
ちなみに「アッコちゃん」の歌も小林亜星が作曲しました。

D先日、海上自衛隊横須賀音楽隊の演奏で「サリー」「アッコちゃん」をきくことができ
ました。この二曲の生演奏は初めてだったのですが、とても楽しい演奏で幸せな気持ちに
なれました。
http://www.youtube.com/watch?v=S7Kg62tplVs&playnext=1&list=PLEB21B9E08F01C53C

長くなりましたが、以上です。
No.895 横山光輝の街 ニジェガロージェッツ [2011/06/21(火)23:58:24]
ツポレフ154さん,いつも書き込み有難うございます。
うちの近所の話題に怯み,ついつい反応が遅くなってしまいました。

「魔法使いサリー」についてはテレビ放送が昭和41年で,小生はまだ幼児期にあたり,も
ちろん家では見ていたかもしれないのですが,覚えていません。むしろ夕方に再放送され
た昭和48年ごろにちょっと目にした記憶があります。この頃には小生も小学校の高学年に
なっており,女の子っぽい「魔法使いサリー」を見ている,などと言うと馬鹿にされる傾
向にありました。作者の地元にもかかわらず・・・です。
横山光輝の作品では,同時期にリアルタイムで放送されていた「バビル2世」のほうは見
ていた男の子も多かったかもしれません。
因みに,当時は「アニメ」という言葉は一般には馴染みのない業界用語だったように推測
します。子供の頃に聞いたことがありません。一般には「まんが」でした。書籍と区別す
る場合には「テレビまんが」と言っていました。

: ロシアの方が投稿した「サリー」がありました。ロシアでも放送されたのかな?

ロシア語の題名で Ведьма Салли を検索すると rutube.ru で第1話「はじめ
まして あたし夢野サリーです」が視聴できました。ロシア語の吹き替え版です。
夢野さん,でしたか・・・らしいネーミングです。
神戸市兵庫区北部(旧・湊区)に夢野という地域がありますが,この地名を充てたのかは
横山氏のみぞが知る所です。夢野商店街がサリーを担ぎ出して町興し,なんて話は聞きま
せん。

震災復興計画による市街地再開発事業として,新長田地区では国道2号線以北の「新長田
一番街」が「鉄人28号」の町として,国道以南の「大正筋」「六間道」界隈が「三国志」
の町としてアピールしているところですが,今はまだ物珍しさもあって,鉄人広場を中心
に人が集まっていますが,まあ,いつまで持続することやら。
参考: http://rutube.ru/tracks/1393017.html
No.894 魔法使いサリー ツポレフ154 [2011/06/18(土)14:49:55]
こんにちは。
4月に宝島社からDVDブック「魔法使いサリー」が発売されました。
http://tkj.jp/

これを見て育ったので買って見ましたが、懐かしいですね。
調べてみて驚いたのは原作者が横山光輝氏(この方のことを存じませんでした)で「鉄人
28号」と同じ著者であり、神戸の方であることです。ニジェガロージェッツさんのご近所
と思われる新長田駅周辺が「三国志」「鉄人28号」の町になっていることも驚きでした。
http://www.kobe-tetsujin.com/access.html#guruguru
ただ、折角横山氏ゆかりの町にするなら、「魔法使いサリー」も作ってほしいなと思いま
した。私が見た横山氏のアニメは「サリー」だけですので。サリーちゃんを作れば女の方
もたくさん来ると思います。

東映動画(現・東映アニメーション)でこのアニメは作られましたが、先日東京都練馬区
にある東映アニメーションギャラリーに行ったところ、「サリー」の絵や台本が展示され
ていて嬉しく思いました。
東映アニメーションギャラリーHP
http://www.toei-anim.co.jp/tag/
同社・「魔法使いサリー」
http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/sally/

少し前にYOUTUBEで見たところ、ロシアの方が投稿した「サリー」がありました。ロシア
でも放送されたのかな?
No.893 人口10万人以上の都市 ニジェガロージェッツ [2011/06/13(月)00:07:46]
2010年国勢調査速報値での10万人以上の都市をまとめたページを作成しました。
2002年国調人口との単純な比較(市域の変更を無視)も出しておきました。

ここ数年,ロシアではちょっとしたベビーブームらしくて,ニジニ・ノヴゴロドの知人が
保育園に子供を預けるのも順番待ちで,新生児の少なかったソ連解体直後の頃とは大違い
だと言っていました。
それを裏付けるかのように,人口100万人以上の大都市では1市を除いて人口が増えていま
す。人口の減った100万都市はニジニ・ノヴゴロド。新生児が増加している話からすれば
,それ以上に人が出ていっているのか。ちょっと心配です。
参考: http://dvor.jp/city.2010census.htm
No.890 Re3: 参考にさせて頂きました(タイムゾーンについて) ニジェガロージェッツ [2011/05/22(日)22:49:24]
ゴン太さん,レス有難うございます。

: 一年中サマータイムとは面白いですね。緯度が高い事と何か関係が有るのでしょうかね。

従来のロシア冬時間でさえも,日本と同じ経度にあるウラジオストク時間は日本時間より
も1時間早くなっていました。ロシアの時間帯(冬)は大体のところ,同じ経度にある諸
国よりも1時間早くなっています。それが,サマータイム制度廃止といっても実際には冬
時間を廃止したわけですから,同経度の諸国に対して2時間進むことになりました。
ゴン太さんのご指摘の通り,ロシアの各時間帯が高緯度に位置しているので,年中サマー
タイムでも良いのでしょうが,これだと冬の朝が明けるのが凄く遅くなりそうで,高緯度
にあるサンクト=ペテルブルクでは,12月下旬の日の出時間が午前11時ごろ,モスクワで
も午前9時50分ごろになります。

: 個人でページの管理をされているのでしょうか。

はい,一個人が「遊び半分」ではなく,100%遊びでやっております。人口データという
数字の羅列だけが好きな,趣味の世界です。最近では更新が進んでおらず,申し訳ござい
ません。

: お名前はニジェガローツキー・ドヴォールさんとお呼びするのが
: 正しかったでしょうか。

サイト名は「ニジェガローツキー・ドヴォール」と言います。「ニジェガローツキー」と
は,ロシアの都市ニジニ・ノヴゴロドの形容詞形で,「ドヴォール」とはロシアの都市空
間にある,建物と建物の間の空き地のような場所を指す言葉で,ニジニ・ノヴゴロドに住
んでいた当時,空き地で何も考えずに佇んでいた当時を懐かしんで付けた名前ですが,何
となく意味不明です。
堂々と「ロシアの地理サイト」とでも名乗ればよかったかもしれませんが,地名と人口デ
ータの羅列を地理と呼ぶのは,身の程を弁えていません。

私個人のペンネーム「ニジェガロージェッツ」とは,ニジニ・ノヴゴロドっ子の男性単数
形です。とはいえ,もう10年以上ロシアへ行っておらず,ニジニに住んだのも僅か1年ほ
どで,もう実態はありませんが,おごがましくもそのまま名乗っています。
No.889 Re2: 参考にさせて頂きました(タイムゾーンについて) ゴン太 [2011/05/22(日)18:17:26]
今気が付いたのですが、お名前はニジェガローツキー・ドヴォールさんとお呼びするのが
正しかったでしょうか。
大変失礼致しました。
No.888 Re2: 参考にさせて頂きました(タイムゾーンについて) ゴン太 [2011/05/22(日)18:07:55]
ニジェガロージェッツさん
早速のコメント有難う御座います。
又、ロシアのタイムゾーンに関して追加で詳しい情報迄頂き恐縮です。

: ということで,今年からは「冬時間」は廃止になりました。あの国は一年中サマータイム

一年中サマータイムとは面白いですね。緯度が高い事と何か関係が有るのでしょうかね。

: サイト運営に対する情報源のことでしょうか。これについては,
: http://dvor.jp/geography_russia.htm
: のページの最後にある「参考資料出典」をご参照下さい。

出展、有難う御座います。個人でページの管理をされているのでしょうか。こちらのペー
ジは少し拝見しただけですが、素晴らしい内容だと思いました。こういうレベルの高いペ
ージがネットに増えてくるのは大変良い事だと思います。これからも頑張って下さい。
No.887 Re: 参考にさせて頂きました(タイムゾーンについて) ニジェガロージェッツ [2011/05/22(日)17:41:36]
ゴン太さん,はじめまして。
この度は書き込み有難うございます。ロシアのタイムゾーンについてですが,ご参考いた
だいた拙ページ
http://dvor.jp/time_zone.htm
のデータは今現在は有効ですが,すでに古い内容になってしまっています。
実は,ロシアでは今年2月8日にメドベージェフ大統領が,3月末の夏時間への移行を最後
に夏と冬の時間移行制を廃止すると表明しました。生体リズムに反しているというのが,
その理由です。
ということで,今年からは「冬時間」は廃止になりました。あの国は一年中サマータイム
ということになります。
拙ページの「冬時間」の項目は古い情報ですので,無視していただきますようお願いしま
す。


: もし、宜しければ差し支えが無い範囲でこのページの管理をされているニジェガロージェ
: ッツさんのバックグラウンド等教えて頂けると幸いです。

サイト運営に対する情報源のことでしょうか。これについては,
http://dvor.jp/geography_russia.htm
のページの最後にある「参考資料出典」をご参照下さい。ただし,その多くはロシア語の
みのサイトや文献です。
No.886 2010年国勢調査での人口50万人以上の都市 ニジェガロージェッツ [2011/05/22(日)17:22:31]
2010年10月14日にロシアで実施された国勢調査の人口データについて,州別の人口(都市
,農村別)や人口10万人以上の市の人口(男女別)については,すでにその速報値がロシ
アの国勢調査サイトより公表されています。

・州別の人口(エクセル)
http://www.perepis-2010.ru/results_of_the_census/pril2.xls

・10万人以上の市人口(エクセル)
http://www.perepis-2010.ru/results_of_the_census/pril4.xls

それによると人口10万人以上の市は全部164市を数え,内訳は100万人以上の市12,50万人
以上25,25万人以上36,10万人以上91となっています。
上記エクセル表はロシア語ですから,そのうち50万人以上37市の人口を挙げておきます。

1	モスクワ	11,514,300
2	サンクト=ペテルブルク 4,848,700
3	ノヴォシビルスク	1,473,700
4	エカテリンブルク	1,350,100
5	ニジニ・ノヴゴロド	 1,250,600
6	サマーラ	1,164,900
7	オムスク	1,154,000
8	カザン 1,143,600
9	チェリャビンスク 1,130,300
10	ロストフ=ナ=ドヌ 1,089,900
11	ウファ 1,062,300
12	ヴォルゴグラード 1,021,200
13	ペルミ 991,500
14	クラスノヤルスク 973,900
15	ヴォロネジ 890,000
16	サラトフ 837,800
17	クラスノダール 744,900
18	トリヤッチ 719,500
19       イジェフスク 628,100
20	ウリャノフスク 613,800
21	バルナウル 612,100
22	ウラジオストク 592,100
23	ヤロスラヴリ 591,500
24	イルクーツク 587,200
25	チュメニ 581,800
26	マハチカラ 578,000
27	ハバロフスク 577,700
28	ノヴォクズネツク 547,900
29	オレンブルク 547,000
30	ケメロヴォ 532,900
31	リャザン 525,100
32	トムスク 522,900
33	アストラハン 520,700
34	ペンザ 517,100
35	ナーベレジヌイエ・チェルヌイ513,200
36	リペツク 508,100
37	トゥーラ 501,100

モスクワ市人口の2010年1月1日推計人口では,10,563,038と公表されていたので,国勢調
査人口はそれよりも100万人も多くなっています。2002年10月国勢調査時でも同年1月人口
と150万人ほどの差が生じていたことから,ソ連解体後の急激なモスクワへの人口流入が
窺えます。
一方で,ソ連時代にはロシア3位だったニジニ・ノヴゴロドが,今では3位に定着したノヴ
ォシビルスクに20万人以上,近年抜かれたエカテリンブルクにも10万人もの大差を付けら
れて5位に陥落とは,ちょっと寂しい。
(そのうち私の住む神戸も福岡に抜かれ川崎に抜かれ,同じような運命を辿りそう)
参考: http://www.perepis-2010.ru/
No.885 Re2: カムチャツカの面積データ ニジェガロージェッツ [2011/05/22(日)16:38:55]
FUNAさん
レスが遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
幼稚で一方的な質問とはとんでもないです。拙サイトに面積データが少ないとの疑問は当
然です。
FUNAさんのご質問に対して,こちらも弁明の機会を与えてもらった格好で,拙稿No.882
では言い訳も交じえて外部サイト(それもロシア語のみ)へのリンクを張りましたが,折
角のご提案に対して自分のサイトは更新せずに,お茶を濁したようで申し訳なく感じてい
ます。
最近は人口データさえもまともに更新せずにいますが,2010年10月14日にロシアで実施さ
れた国勢調査の詳細な人口データが発表されれば,一気に更新作業を開始するつもりでお
りますので,もう数ヶ月ご猶予頂ければ幸いです。

: 20年ほど前でしょうか。NHKでカムチャツカの特集があったと思うの
: ですが、それを見てからいつか行ってみたい、もっと知りたい、と思うようになりました

偶然ですが,私もその番組を見たように記憶しています。1991年の正月ごろでした。それ
まではカムチャツカ半島全域が外国メディアには閉ざされた地域でしたが,前年の1990年
夏ごろにはNHKで半島北部のみは取材が許されて,北カムチャツカの特集番組がありま
した。その時には州都のペトロパヴロフスクを含めて,半島南部は軍事地帯と言うことで
立ち入りの許可が出なかったので,半年後の91年正月のNHKのニュースで公開された,
二つ並ぶ富士山型のコリャクスカヤ山とアヴァチンスカヤ山を背景にしたペトロパヴロフ
スク市と港の絶景がちょっと映ったときは,その美しさに感動しました。
FUNAさんの彼の地への想いも十分理解できます。
No.884 参考にさせて頂きました(タイムゾーンについて) ゴン太 [2011/05/22(日)13:51:34]
ニジェガロージェッツさん初めまして。
会社員をしているゴン太と申します。

娘から、ロシアのタイムゾーンを学校では9個と習ったのに手元の参考書では11個となっ
ているのは何故?と聞かれて検索をしてこちらに辿り着きました。
詳しい解説が有り大変参考になりました。
有難うございました。

もし、宜しければ差し支えが無い範囲でこのページの管理をされているニジェガロージェ
ッツさんのバックグラウンド等教えて頂けると幸いです。
No.883 Re: カムチャツカの面積データ FUNA [2011/05/14(土)06:52:20]
ニジェガロージェッツさん、私の幼稚で一方的な質問に、とても丁寧にお答えいただき、
本当にありがとうございます。ずっと知りたいと思っていたことを教えていただいて、感
謝しています。20年ほど前でしょうか。NHKでカムチャツカの特集があったと思うの
ですが、それを見てからいつか行ってみたい、もっと知りたい、と思うようになりました
。それから旅行本などを読んでは、「行ったつもり」の空想をしています。2年程前こち
らのページを偶然拝見し、とても感動し、ますます地理好きになりました。ただ今回私は
、こんなに素晴らしいホームページを作られた方に、私自身で調べもせず、「面積を載せ
てほしい」云々など、ニジェガロージェッツさんのご苦労も考えず、勝手なことを言って
しまいました。申し訳ありませんでした。これからも、この素晴らしいページのファンで
あり続けます。
No.882 カムチャツカの面積データ ニジェガロージェッツ [2011/05/13(金)00:05:35]
FUNAさん,はじめまして。拙サイトへのご愛顧有難うございます。最近はサイトの更
新も停滞しており,ご期待に外れることも多いかと察します。申し訳ございません。

さて,カムチャツカ半島の面積ですが,47万平方キロとしているのは,カムチャツカ半島
=カムチャツカ地方(2007年までは州)と捉えての面積データかと推測します。しかし,
実際に地図を見てみれば明確ですが,地方の北部は明らかに半島部分ではなく,半島基部
より更に北方のコリャーク山脈やコリマ山脈にも達しています。一方,理科年表の面積デ
ータは純粋に半島部分のみを計測したものでしょう。

現在のカムチャツカ地方は11地区と1直轄市,1閉鎖行政地域組織により成り立ってい
ますが,その面積データはロシアの地理サイト“mojgorod.ru”に提示されています。
(カムチャツカ地方の行政区画)
http://www.mojgorod.ru/kamchat_obl/atd.html

当該ページはロシア語のアルファベット順になっているので,拙サイトのカムチャツカ地
方のページhttp://dvor.jp/subekt.kamchatka.htm
に掲載している自作地図に合わせて列挙してみると以下のようになります。(単位km2)

ペンジナ地区 116,086
オリュトルカ地区 72,352
カラギンスキー地区 40,641
チギリ地区 63,484
ウスチ=カムチャツク地区 40,837
ブイストリンスキー地区 23,377
ソボレヴォ地区 21,076
ミリコヴォ地区 22,590
アレウト地区 1,507
エリゾヴォ地区 40,996
ウスチ=ボリシェレツク地区 20,626
ペトロパヴロフスク=カムチャツキー市 362
ヴィリュチンスク市(閉鎖行政地域組織) 面積データ記載なし

カムチャツカ地方全体の面積は464,275km2ですから,北部の2地区のペンジナ地区とオリ
ュトルカ地区を除外すれば275,837km2となり,理科年表の面積データに近くなります。実
際にはこの計算も行政区画の境界に沿った形になるので,地形的な半島部分とそうでない
部分との境界線とは一致しませんが,推測として,大体この2地区との境界付近までをカ
ムチャツカ半島として見なされているということでしょう。
なお,上記の11地区と1市の面積を単純に加算すると463,934km2となり,地方全体の面積
には341km2足りません。これが欠落している閉鎖地域のヴィリュチンスク市のものかと推
測したくなるのですが,単純にそのような引き算で推測できるのかといえば,そうではあ
りません。ヴィリュチンスク市面積は周辺のエリゾヴォ地区に含まれている可能性が捨て
きれず,341km2の不足分はデータの誤差とも,計測方法などの違いであるとも考えられま
す。

なお,別のロシアのサイト“terrus.ru”のカムチャツカ地方2007年のページによる面積
データでは,
http://terrus.ru/cgi-bin/allrussia/v3_index.pl?act=reg&id=41&from=d_er
ペンジナ地区 115,500
オリュトルカ地区 40,320
カラギンスキー地区 73,060
チギリ地区 62,130
ウスチ=カムチャツク地区 40,900
ブイストリンスキー地区 24,190
ソボレヴォ地区 21,180
ミリコヴォ地区 21,620
アレウト地区 1,580
エリゾヴォ地区  面積データ記載なし
ウスチ=ボリシェレツク地区 21,230
ペトロパヴロフスク=カムチャツキー市 400
ヴィリュチンスク市(閉鎖行政地域組織)404 

と書かれており,前出の“mojgorod.ru”の面積データとは悉く違っています。特にオリ
ュトルカ地区とカラギンスキー地区のデータの差異は看過できるものではありません。


: また「ニジェガローツキー・ドヴォール」にロシアのいろいろな地方の、できれ
: ばそれを構成している地区の面積を掲載していただければうれしいです。

ご提案ありがとうございます。
地区と市別の面積データの掲載については,出来れば是非やりたいところです。というよ
り,私にとっても悲願です。
しかし,これといったロシア全土を同一の条件で地区や市の地域行政単位でまで整備し公
表している情報源に辿り着けずにいます。
先に提示したカムチャツカ地方の面積データでさえも,参考にした2つのサイトでこれほ
どの差異が生じています。また,人口データを見れば分かりますが,市域と市行政区域に
違いがある場合が多く,「市の面積」と言っても,市域の面積であるのか,市行政区域の
ものであるのかの検証がいちいち必要です。更にその境界線が結構変更されています。市
近郊に付随する町村が市域(或いは市行政区域)に吸収されたり,あるいは除外されたり
といったことがかなり頻繁にあります。当然,これらも面積の変更に直結するのはいうま
でもありませんので,これらの変更を確実に反映されている情報源の入手を待っているの
が現状です。

“mojgorod.ru”のデータを写して,人口データと面積データの出所と時期的なものは一
致しないことを断った上で,参考データとして面積も書くというのも考えなくはないです
が,正直なところ二の足を踏んで決断できずにいます。

下記参考ページは“mojgorod.ru”の連邦構成体リストですが,各ページの АТД のリ
ンクを辿れば各州の各地区の面積データが入手出来ます。但し,ロシア語です。
参考: http://www.mojgorod.ru/regs/list.html
No.880 いろいろ教えてもらえますか? FUNA [2011/05/11(水)22:17:48]
いつも楽しく拝見しています。地理が好きな私は、このサイトの質の高さに感心するばか
りです。ところで、カムチャツカ半島について質問があります。一般的な資料では面積は
約47万平方キロメートルとなっているものが多いと思いますが、理科年表では26万4
千平方キロメートルとなっています。どの範囲で数字を決めているのか、基準はどこなの
か知りたいです。それから、カムチャツカ地方には11の地区があるようですが、各地区
の面積がわかる資料がありますか。ご存知の方がいらっしゃればぜひおしえていただきた
いです。また「ニジェガローツキー・ドヴォール」にロシアのいろいろな地方の、できれ
ばそれを構成している地区の面積を掲載していただければうれしいです。どうかよろしく
お願いします。
No.879 Re: ニジニノブゴロド ニジェガロージェッツ [2011/04/21(木)21:32:08]
N村さん,書き込みありがとうございます。

私も昨晩,「世界の車窓から」を見ました。つい先日,ウラル山麓のエカテリンブルクを
やっていたので,ニジニはまだまだ先のことだろうと,録画の準備もしておらずに不意を
突かれました。

見たところ,随分とカラフルな駅舎になったものだと感じました。停車している近郊列車
の車両も,私の知っている「ソ連」型のようなものではなく,随分と欧風な物に変わって
いました。
駅舎はニジニ・ノヴゴロドの都心からは離れたオカ川の対岸にあるので,駅周辺は特にニ
ジニらしい建物も少なく,他の地方都市とあまり景観に差がないので,ニジニと知らずに
見ているとそれとは気が付かなかったかもしれません。

昨晩の放送では,そのままモスクワへ旅立って仕舞いそうでしたが,ニジニ都心のクレム
リンや景観地区などを紹介して欲しいものです。さて,今晩の放送は?
No.878 ニジニノブゴロド N村 [2011/04/20(水)23:18:13]
ご無沙汰してます。灘のN村です。
たった今、テレビを見ていたら、「世界の車窓から」で、ニジニノブゴロドの駅をやって
ました。
No.877 ウラジオストク旧日本人街散策マップ ニジェガロージェッツ [2011/03/01(火)23:16:30]
めるさん,ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません。
ウラジオストク『旧日本人街散策マップ』のご案内ありがとうございました。

: ※現在日本人会のTOP頁に画像をUPしています。
: http://www.geocities.jp/urajionihon/index2.html
画像拝見しました。素晴らしい出来栄えの見所満載のマップで,私のような地図に目のな
い地図オタクだけでなく多くの人々に喜ばれることでしょう。ウラジオストク都心部に残
る昔ながらの美しい街並が懐かしく思い出します。(もう随分変わってしまったかな?)
日本語版が完成して,もしもウラジオ市内だけでなく更には日本国内の旅行社やウラジオ
と結ばれている空港などに配布していれば,ウラジオ観光の大きな宣伝になるかも。

ウラジオストクは,長い閉鎖時代が終わろうとしていた1989年当時,開放より先に入域し
たジャーナリストの話として「地図のない街」と紹介されていました。90年になって市内
の詳しい地図が売られるようになり,それを買った記者がテレビの特集番組で得意げに紹
介していました。私もその同じ地図を91年にウラジオストクを訪問し「アムールスキー・
ザリフ」というホテルに宿泊したときにロビーの壁に貼ってあったのを見つけ感動したこ
とがあります。思えばもう20年も前の,歴史の一こまになってしまいました。時代の移り
変わりを感じます。
No.876 ウラジオストク旧日本人街散策マップが完成しました める@浦潮広報係 [2011/02/22(火)12:51:05]
こんにちは。
先日は旧日本人街の地図をご紹介させて頂きましたが、
きのう、今度は『旧日本人街散策マップ』というのが完成し、お披露目されました。
これは折畳みの紙地図で、大きさは21×10cm、広げると42×60cmです。
片面に地図、もう片面に各場所建物の説明があります。
※現在日本人会のTOP頁に画像をUPしています。
http://www.geocities.jp/urajionihon/index2.html

主に日露の歴史に関心のあるロシア人や、日本からの旅行者の方、また歴史の資料として
、日本総領事館とウラジオの博物館が合同で製作しました。最初にロシア語版を作成しま
したが、4月までに日本語版が完成するとのことです。

無料配布ですので、もしウラジオストクを訪問される方でご興味がおありの方がいらっし
ゃれば、
総領事館、日本センター、アルセーニエフ博物館、日本語学科を設置している各大学にあ
りますから、是非お手にとってご覧下さい。
No.873 Re: ウラジオストク旧日本人街地図 ニジェガロージェッツ [2010/12/11(土)10:54:55]
めるさん,こちらこそいつもお世話になっております。
貴重な浦潮の地図のご紹介有難うございました。

見事な,何とも感慨深い地図です。まるで日本の住宅地図をみているような,1915〜22(
大正4〜11)年当時の在浦の日本人社会の全盛期を再現した貴重な資料です。
めるさんの「ウラジオストク日本人会」のサイトに書かれているように,早くも明治9年
に日本政府貿易事務所が開設されるなど,在浦の日本人の歴史は幕末の移民にまで遡れる
そうですが,そうして築いてきた明治期のウラジオでの日本人街が,日露戦争による引き
上げで一度は壊滅に瀕し,しかし大正のこの時期にはここまで復活,いや発展したのかと
,先人たちのパワーに圧倒されます。

: この度、日本文化同好会という、日本文化に造詣が深いロシア人の方々が集まる当地のサイト

この地図画像,ロシア側が作ったのですか。
「日本文化同好会」とは,明治期の日本人社会にスポットを当てて評価してくださるロシ
ア人がおられるとは,うれしい限りです。
私は1992年以来ウラジオへは行っていませんが,是非再訪を果たしたいものです。
参考: http://www.geocities.jp/urajionihon/index2.html
No.872 ウラジオストク旧日本人街地図 める@浦潮斯徳 [2010/12/08(水)11:42:41]
こんにちは、いつもお世話になっております。

ウラジオストクが浦潮斯徳と書かれていた頃の日本人街の地図をご紹介致します。
http://www.jp-club.ru/wp-content/uploads/2010/12/jstores.pdf

この地図は、紙面では日露いろいろな所にあるのですが、
WEB上ですぐに見られる掲載が今までなかったと思います。
この度、日本文化同好会という、
日本文化に造詣が深いロシア人の方々が集まる当地のサイトにアップされましたので、
ご紹介させて頂きます。

数年前、この地図を手に私も散策したことがあるのですが、
当時の建物が思ったよりそのまま残っていました。
とはいっても、旧日本人街は町の中心部にあり、
歴史的建造物指定を受けているもの以外は、
凄まじい不動産高騰による再開発の波に晒されていますので、
いつまでその姿を見る事ができるかわかりません。

ご興味のある方は是非早めに訪れて頂きたいと思います。
No.871 Re3: 大河に…ボルガ など ニジェガロージェッツ [2010/12/05(日)22:25:30]
ツポレフ154さん,兵庫県史についてのご考察ありがとうございます。
小生,地元に住んでいながら知らないことが多く,勉強になりました。

: 私的な理由とはいえ遅くなったことをおわび申し上げます。 
とんでもない。私も常々レスをお返しするのが遅れ気味で失礼を重ねておりますが,気楽
にいきましょう。

: 遠くても同じ兵庫県、という意識なのでしょうか。
正しくその通りです。ただ,私的には但馬であろうが淡路であろうがあまり「遠い」とい
う感覚はありません。実際に行くと道中疲れますが,それはそれ。あくまでも感覚的に県
内として捉えています。
30年以上前の高校時代の写真部の部活で,撮影地として阪急電車で手軽に行ける服部緑地
を推したのですが顧問に却下。理由は県外(大阪府豊中市)だからで,子供同士の遠出は
駄目ということでした。ならば県内ならば但馬の奥地でも良いのかと,子供の目にも疑問
に感じました。ちょっと例えが変ですが,そんな感覚です。
 
: その江戸時代の兵庫県の地図”幕末の大名領”が兵庫県HPに載っていました。十以上の藩
: があることは知っていましたが、これほど複雑だとは予想外で驚きました

西播磨の龍野は脇坂家,赤穂は忠臣蔵の浅野家という大名割りは馴染んでいるでしょうが
,これが神戸になると,旧藩がどこ?との意識は全くありません。むしろ知っている方が
不思議です。
神戸市中央区の狭い都心部でさえ,神戸の言葉で「浜手」つまり現在のJR線以南は幕府天
領,「山手」の生田神社周辺と湊川神社の辺りは尼崎藩領,生田さんと楠公さん(湊川神
社)の間にある地域は下総・古河藩領(茨城県)でした。

ああ,いつの間にか大河もヴォルガも関係の神戸の話題になってしまいました。
No.870 Re2: 大河に…ボルガ など ツポレフ154 [2010/11/28(日)18:33:18]
こんばんは。
ニジェガロージェッツさん
実は私が使っているPCでは送信できず(ほかの掲示板では送信可能)、外で書くため遅く
なりました。私的な理由とはいえ遅くなったことをおわび申し上げます。 

”兵庫県民というよりは,神戸っ子としての帰属意識のほうが強いのは確かです”
やっぱり、と感じました。

”鳴門海峡も餘部鉄橋も「わたしたちの兵庫県」という意識でいます。”
遠くても同じ兵庫県、という意識なのでしょうか。

”神戸以外の地域,特に姫路を中心とした西播磨からは,「兵庫県に含まれていることが
納得いかない」といった兵庫県という区画そのものに否定的な反応があることは確かなよ
うです”
西播磨は江戸時代姫路・竜野・赤穂などの藩であったため、そういう反応があっても不思
議ではないと思います。

その江戸時代の兵庫県の地図”幕末の大名領”が兵庫県HPに載っていました。十以上の藩
があることは知っていましたが、これほど複雑だとは予想外で驚きました(すでにご存知
でしたらご容赦いただければ幸いです)。
http://web.pref.hyogo.jp/pa13/pa13_000000012.html

なかなか兵庫県に藩庁があった藩の殿様は興味深い家が多いです。
○姫路・酒井家の若殿様はオーストラリアで競走馬の牧場を経営。
http://www.equineternal.com.au/home.html
○竜野・脇坂家はビルの総合管理会社(本社西宮)を経営。同社の社章は脇坂家の家紋か
らとったものと思われます。
http://www.kk-jcc.co.jp/histly/index.html


○豊岡・京極家の殿様は靖国神社宮司。

○村岡・山名家は山名宗全の子孫で、先々代は国家公安審査委員や中東調査会理事長など
をを歴任しました。
中東調査会HP
http://www.meij.or.jp/prof/history.html
村岡・法雲寺HP
http://www.houun.jp/modules/xpwiki/

ちなみに東京のロシア大使館は江戸時代三春藩(陸奥国、福島県三春町)の屋敷でした。
三春藩江戸屋敷がおろしあ国江戸屋敷に
なったわけですね。似たような役割で面白いです。

以上です。


 
No.869 Re: 大河に…ボルガ など ニジェガロージェッツ [2010/11/19(金)11:34:36]
ツポレフ154さん,いつも情報ご提供ありがとうございます。
いつもながら,レスが遅くなって申し訳ございません。

拙宅ではBSが視聴できないので,NHKの「ボルガ河 民族復興の大地をゆく」は残念でし
たが,8年前に放送されたものの再放送のようで,当時小生も見た記憶があります。確か
ニジニ・ノヴゴロドも出ていて,「どん底」の舞台となったクレムリの丘の下の旧貧民街
が紹介されていました。また,中央アジアに強制移住させられたボルガ・ドイツ人が郷里
のサラトフ州を訪問するシーンが印象に残っています。


:「兵庫県民」という意識は非常に薄く、”淡路””但馬””播州”などの地域意識のほうが強そう

他県の県民意識というものがどの程度のものか,兵庫県以外に住んだことのない私には分
からないのですが,県庁所在地の神戸市民の小生には鳴門海峡も餘部鉄橋も「わたしたち
の兵庫県」という意識でいます。もっとも,兵庫県民というよりは,神戸っ子としての帰
属意識のほうが強いのは確かです。住所に「兵庫県神戸市」と書かれるとムッとします。

また,神戸以外の地域,特に姫路を中心とした西播磨からは,「兵庫県に含まれているこ
とが納得いかない」といった兵庫県という区画そのものに否定的な反応があることは確か
なようです。


: ”大序曲1812年”を聴きました。譜面どおり大砲を使った演奏

実際の演奏を聴きに行ったことはありませんが,ツポレフ154さんのお話から迫力が伝わ
ってきます。ユーチューブでも映像が出ていますが,振動とか迫力は想像するしかないの
で,演奏を聴きに行きたくなりました。
No.868 大河に…ボルガ など ツポレフ154 [2010/11/13(土)18:42:52]
こんばんは。
NHK BS2で”「大河に時は流れる」ボルガ河 民族復興の大地をゆく”が今晩23時から
放送されます。ご興味のあるかたはぜひどうぞ。

ニジェガロージェッツさん
先日、特急「はまかぜ」(大阪ー三宮ー神戸ー姫路ー豊岡ー城崎温泉ー香住ー浜坂ー鳥取
、走行区間の大部分が兵庫県内)が新型車両に置き換えられました。この列車の役割の一
つは但馬地方と県庁所在地神戸との直結ですが、ふと思ったこと。

兵庫県は播磨・但馬など沢山の国から成り立っており温暖な淡路島から但馬の豪雪地帯ま
で含んでいます。このような多様な地域に分かれているので、「兵庫県民」という意識は
非常に薄く、”淡路””但馬””播州”などの地域意識のほうが強そうに感じますが、実
際はどうなのでしょうか?よそ者の立場からいえば、北野異人館・鳴門海峡(の淡路島側
)・姫路城・コウノトリの里・餘部鉄橋が同じ県だとちょっと思えないのですが。

先月、陸上自衛隊音楽隊および砲兵隊によるチャイコフスキー”大序曲1812年”を聴きま
した。譜面どおり大砲を使った演奏(日本では自衛隊と在日米軍でしかできませんね)で
す。音もさることながら耳が痛くなりそうになったくらい振動がすごく大変な迫力があり
ました。1812年の「祖国戦争」(ナポレオン戦争)勝利を実物の大砲で
描写するとはチャイコフスキーもなかなか味のあることをするなと
思います。

以上です。
参考: http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-11-13&ch=12&eid=25946
No.867 Re: 100年前のロシア ニジェガロージェッツ [2010/09/14(火)10:34:51]
雪の字さん,ヤールマルカご来場ありがとうございます。
カラー写真で復活した,100年前のロシア帝国の写真のページ初めて拝見しました。素晴
らしいページのご紹介有難うございます。同じく,完全に魅了されてしまいました。

この100年間の変化については,私の知っている1990年代のロシアと比べて,人々の服装
こそ変わっているものの大した変化は無いというのが率直な印象です。これらの写真を「
最近撮影されたもの」と紹介しても,あまり違和感がないようにも思えるほどです。特に
モジャイスク市の郊外で撮影されたニコラエフスキー大聖堂周辺の様子や,ベロゼルスク
市の外れの野原にポツンと建つ木造の小さな礼拝堂などは,今のロシアのどこにでもあり
そうな光景です。その一方で,大都市に変貌にたグルジアのチフリス(ドビリシ)はさす
がに変わっているでしょう。ドビリシだけだはなく,都市全体を俯瞰した写真からは大き
な変化が感じられます
ソ連的な光景というと,「フルシチョフカ」と呼ばれる画一的な箱型の集合住宅に代表さ
れるような市街地ですが,これはソ連時代に開発された新市街に良く見られる光景です。
サハリンの都市は樺太時代に築かれた日本家屋がロシア人の生活には適したものではい上
に,日本色を一掃したい政策もあって再開発されたものですから,かなりソ連色が強いと
感じました。
一方でロシアの古い都市の,それも都心部には昔の帝国時代と変わらない姿が保存されて
おり,寺院や百貨店を中心に,築150年を超えているようなアパート群もまだまだ健在で
す。寺院についてはソ連時代に多くが「宗教はアヘンだ」と解体されてしまいましたが,
以前の姿を復元して再築されたものもあると聞きます。これらはロシアの観光資源となっ
ています。

しかし次の100年には,歴史遺産のような建造物を除いて,これら19世紀の建築物も,ソ
連時代のフルシチョフカも残ってはいないだろうなと思います。20世紀の変化が少なかっ
た分,これからの変化は大きなものになるだろうと推察します。
No.866 100年前のロシア 雪の字 [2010/09/13(月)11:52:32]
こんにちは。
こちらへコメントさせていただくのは、初めてだったように思います。

先日、ネットを彷徨っていた時に、興味深いページを見付けたのでご紹介します。
と言っても、ニジェガロージェッツさんならば、すでにご存じかもしれません。

1909年から1912年にかけて撮影された、ロシア各地のカラー写真です。
今年が2010年ですから、ちょうど100年前の風景ということになるでしょうか。
しかも、古い写真によく見られる彩色写真ではなく、カメラに三原色のフィルタをつけ、
それぞれの色で同じ物を撮影することによって、実際の色のデータを保存するという手法
で撮影された写真なのだそうです。
生き生きとした鮮やかな色彩に、目を奪われずにいられませんでした。

それと同時に、こちらのサイトで拝見した、いかにも「ソ連」的なサハリンの風景を思い
出し、この100年間にロシアという国が経てきた大きな変化を痛切に感じました。
それでも、やはり、どこか変わっていない、と感じさせる部分もあって、それがロシアの
ロシアたる部分なのだろうか、とも思いました。

次の100年が過ぎ去った後、はたして、ロシアの風景はどのように変わっているでしょう
ね。
参考: http://www.boston.com/bigpicture/2010/08/russia_in_color_a_century_ago.html
No.857 Re: 「旅サラダ」続き ニジェガロージェッツ [2010/06/26(土)10:10:47]
ツポレフ154さん,おはようございます。先ほど「旅サラダ」のロシアの旅最終回が終わ
りましたね。先週に続いて今日も見ました。
第1,2週は見逃してしまいましたが,いずれもモスクワを拠点に第1週ヤロスラヴリ,第2
週スズダリ,第3週ヴラジーミルと来て,最終週セルギエフ・ポサドと,いずれも歴史都
市の連なる「黄金の環」に属する都市で,ロシアの歴史と文化を満喫できる人気コースと
して,各旅行社のパックツアーでもよく企画されているところです。

それにしても,どの都市へ行っても綺麗で贅沢な景色ばかりでしたね。特に抜けるような
深い青空と,寺院の黄金色の屋根の映りばえの素晴らしいこと。見事な美しさです。観光
地としてもずいぶん洗練されてきたなと感じます。
私は「黄金の環」の都市ではモスクワとヤロスラヴリしか行ったことはありませんが,い
ずれも90年代のことで,どちらかと言えば,まだ少々荒れた印象を持っていました。でも
,それはそれで結構素朴に感じたりと,自分としては満足でしたが。
番組コーナーの最後に,「ロシアは今が旬です」と言っておられ,「新しいビルとか建っ
てほしくない」という趣旨の感想も述べておられましたが,私も同感です。
もう10年もロシアにはご無沙汰ですが,また行ってみたくなりました。

: 兵庫県で行ってみたい歴史都市は竜野です。
: 殿様の脇坂家とのつながりが今も深いのがいいと思います。

龍野ですか。風情のある良い町です。私は「醤油の街」の印象のほうが強いですが。ヒガ
シマルの「うすくち龍野醤油資料館」は醤油だけではなく,街の歴史の紹介もあって面白
かったですよ。
No.856 「旅サラダ」続き ツポレフ154 [2010/06/24(木)21:01:22]
ニジェガロージェッツさん、こんばんは。
先週の「旅サラダ」をご覧になられましたでしょうか?私は見ました。「黄金の環」のウ
ラジーミルはきれいですね。歴史都市が好きなので、こういう町が紹介されるのは嬉しい
です。数年前からこの番組を見ていますがロシアは今回が初めてです。旅行番組でロシア
が紹介されることは以前は考えられなかったことですから画期的だと思います。

また、島谷氏のブログを見ると”ロシアのイメージが変わった”という方が何人もおられ
ますから、ロシアに親近感を抱く人が増えてよかったと思います。

今月はスーズダリ市長やサーカス団幹部による直々の案内がありました。ロシア側に日本
人観光客に来てほしいという強い気持ちがあって、このような厚遇になったように感じま
す。

私はウラジオストクしかロシアに行ったことがありません(但し西欧への行き帰りに上空
を飛行機で通過したことは何度かあります)から、「黄金の環」のような歴史都市は行っ
てみたいです。おそらく「古きよき時代のロシア」「本当のロシア」が味わえるでしょう
ね。

話がそれて恐縮ですが、私が好きな歴史都市は佐原、川越、高山、木曽地方、奈良、松江
、知覧、コペンハーゲン、ウプサラなどです。
なお、ニジェガロージェッツさんのご地元の兵庫県で行ってみたい歴史都市は竜野です。
殿様の脇坂家とのつながりが今も深いのがいいと思います。

今度はロシア最終回ですね。どこが紹介されるか楽しみです。
No.855 Re: 島谷ひとみ氏ロシアの旅 「旅サラダ」 ニジェガロージェッツ [2010/06/12(土)22:38:28]
ツポレフ154さん,毎度です。
興味深い番組紹介ありがとうございます。

「旅サラダ」ですか。全く気がつきませんでした。
第1回ではヤロスラヴリが紹介されていたとは,見逃したのが残念でなりません。もう13
年も前になりますが現地に行ったことがあり,イリヤ・プロローカ寺院(預言者イリヤ寺
院)は懐かしいですねぇ。うちのフォトギャラリーにも出していますが,都心にありなが
らも,ゆったりと落ち着いた雰囲気の良い所です。

今日放送された第2回のススダリは,当時行きたかったのですが,結局行けず仕舞いでし
たから,これも見逃したのが残念です。

それでも第3回,第4回の放送が残っているのは有難いです。是非見なきゃあ。
ツポレフ154さん,ご紹介ありがとうございます。
No.854 島谷ひとみ氏ロシアの旅 「旅サラダ」 ツポレフ154 [2010/06/12(土)18:23:19]
こんにちは。
土曜の朝8時から放送(朝日放送・テレビ朝日・名古屋テレビなど)の「旅サラダ」のう
ち、今月は外国編が島谷ひとみ氏(歌手・女優で広島県生まれ。以下「氏」と略します)
によるロシアの旅です。

先週の第1回は残念ながら見られませんでしたが、今日は見られました。

前半は遊覧船から見たモスクワです。ワシーリー大聖堂やクレムリンなど、よくTVで映る
ところも新鮮です。氏はワシーリー大聖堂を「おとぎ話の建物みたい」と言っていました
。女性のほうがロシアの魅力を理解しやすいのかもしれません。

氏のブログによると5月の取材だったそうです。暑い日もあり「冬の長い国なので大胆な
格好で日光浴をしている女性がいた」と番組でふれていました。北欧でもそうですが、寒
い国の人は日光浴が大事なのだと思います。

後半は「黄金の環」のスーズダリで、なんと市長(女性)直々の案内もありました。
楽団 ゾロトエ・ヤブロコ (金りんご) Золотое яблокоによる
★ポーリュシュカポーレ Полюшко-поле 
★一週間  Неделька
の歌が素晴らしく、「音楽の国ロシア」にふさわしい内容でした。

この番組は、地名などの固有名詞がが随時字幕で表記されますが、うれしいことに大部分
が現地語併記です。したがって今回はキリル文字併記でした(ブルガリアでも)。番組HP
でも固有名詞の併記があるため、楽団名などの原語名がわかります。

来週と再来週も氏のロシアの旅ですので、見ようと思います。

詳しくは
旅サラダ 番組HP(朝日放送)
http://www.asahi.co.jp/tsalad/
島谷ひとみ氏ブログ
http://blog.oricon.co.jp/shimatanihitomi/
をごらんください。
No.853 Re: 「世界の地下鉄」 及び 〈ロシアへの虹〉 ニジェガロージェッツ [2010/05/23(日)23:49:22]
ツポレフ154さん,いつも面白い情報ご提供有難うございます。

: 「世界の地下鉄――151都市のメトロガイド 」(改訂版)

今日,本屋に行って立ち読みしてきました。ニジニの地下鉄についても紹介されていまし
たが,構想を含めて総延長60キロに達すると書かれているのは何かの間違いだろうと推察
します。構想を含めてもその半分程度でしょう。
ニジニ・ノヴゴロドの地下鉄については,従来走っていたのはオカ川左岸に限定されてい
て,都心のあるオカ川右岸には通じていませんでした。
そのオカ川こそが建設の障害で,この川を越えるのに地下で越えるか,橋で越えるかが議
論されていましたが,結局,橋で越えることになりました。オカ川右岸の都心部は台地の
上にあるので,架橋で越えても台地の法面にぶつかる形でそのまま都心の地下に入れるの
で有利です。
この橋は今年には完成し,来年には都心部のマクシム・ゴーリキー広場まで開通するよう
です。
http://metroworld.ruz.net/novgorod/prospects.htm

: この地下鉄のエスカレーターもモスクワなどと同じように、日本の倍の分速60mなのでしょうか?

小生はオカ川左岸にはあまり用が無く,地下鉄を乗ることが少なかったのですが,モスク
ワ並みの速度だったかどうか,いま一つ記憶に残っていません。記憶に残っていないとい
うことは,モスクワと同じようなものだったかも知れません。


: 朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」で〈ロシアへの虹〉が連載中です。

図書館に行ってコピーしてきました。兵庫県は淡路島に高田屋嘉兵衛の記念館もあり,ご
子孫がロシアのゴロヴニン・リコルドの子孫との交流があることは知っていましたが,3
人で小渕首相(当時)を訪ねたエピソードは嬉しくなりました。
ただ,それ以上に地理好きとしてはゴロヴニン・リコルドの子孫の発案で,カムチャツカ
の千メートル級の3つの山に3人の名前が付けられたというのは興味をかきたてられまし
た。
調べてみると,淡路の高田屋嘉兵衛公園のウエブサイトに「カムチャツカのカヘイ岩山」
というページに,ピョートル・ゴロヴニン氏からの挨拶文が掲載されており,写真入で山
の紹介がされています。
http://www.takataya.jp/nanohana/kawara/Kahi_rock/kahi_rock.htm

カヘイ岩山は,世界遺産にも登録されているナリチェボ自然公園内にあり,標高1054メー
トルで,位置は北緯53度34分50秒―東経158度45分23秒とのことです。
No.852 「世界の地下鉄」 及び 〈ロシアへの虹〉 ツポレフ154 [2010/05/20(木)21:03:05]
こんばんは。
@ぎょうせいより「世界の地下鉄――151都市のメトロガイド 」(改訂版)がでまし
た。ニジニ・ノブゴロドも簡単ですが載っています。この地下鉄のエスカレーターもモス
クワなどと同じように、日本の倍の分速60mなのでしょうか?
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=5107602-00-000
 
 
A朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」で〈ロシアへの虹〉が連載中です。昨日(5月19日)
は高田屋嘉兵衛・ゴロブニン・リコルドの子孫が出ていて面白かったです。
http://www.asahi.com/jinmyakuki/

よろしかったらぜひどうぞ。
No.851 Re: 卒論経過報告 ニジェガロージェッツ [2010/05/09(日)12:39:27]
アンナさん,卒論のご報告有難うございます。

ロシア関連の資料の多くがロシア語だったということは,まだまだ手付かずのテーマが多
いと言うことの裏返しのように感じます。
逆に,日本語の文献が多くあれば,その分野は既に多くの研究がなされているということ
でしょうから,面白みが無いかも知れません。

樺太をテーマに定められたのも面白いですね。私のロシア(当時はソ連)への関心は,あ
の国が樺太を領有していることから湧いてきたものでした。当時は冷戦時代の真っ只中で
,樺太への入域は厳重に制限され,旧樺太居住者の墓参団や,北海道の姉妹都市交流以外
には,まず訪れることは無理であったと推測される時代でした。
ソ連のある限り,一生行くことは夢に終わるだろうと思っていたところ,時代は変わり,
まだソ連だった89年に行くことができました。
今では海路,空路ともに定期便も開設され,容易に訪れることが出来ますから,訪樺して
現地にある史跡や資料に接するのも良いでしょう。

: 「なぜ、満州や台湾の植民地研究の文献は数が多いのに、樺太は極端に少ないのか・・・
: 」

移住型植民地であった樺太は,台湾や満州とは違い,むしろ北海道の性格に近いのではな
いのかと推測します。
もちろん,元々は南樺太の大部分はアイヌ民族の居住地で,恵須取支庁や敷香支庁の管内
にはオロッコ(ウィルタ)やギリヤーク(ニブーフ)等の原住民も暮らしており,彼らか
らその土地を奪ったのは事実なのだけれども,原野を区画開発して農地に変えた開拓地と
しての歴史から,植民地というよりは殖民地としての性質が強いのではと感じています。

今では同じくサハリン州に属している千島列島を日本の植民地だったと考える人はあまり
いないでしょうが,樺太は植民地だったと認識されています。この違いは気になるところ
です。
また,同じ土地であるのに,1875年の千島樺太交換条約で放棄するまでの樺太,江戸時代
の北蝦夷こと「カラフト嶋」のことは植民地として見ることはあまりないような気がしま
す。

アンナさんの卒論のテーマとずれているかもしれませんが,樺太についての雑感を書かせ
ていただきました。

ご卒論の大成を蔭ながらお祈り致します。
No.850 卒論経過報告 アンナ [2010/05/06(木)10:53:09]
ニジェガロージェッツさん、お久しぶりです。
去年の11月頃、秘密都市の件で書き込ませていただいたアンナです。

あれからかなりの月日が経ち、とうとう4年生となってしまったわけですが、テーマが定
まってきつつあるので、ご報告を。


秘密都市の文献や資料収集を行ったのですが、日本語のものは数少なく、全文ロシア語の
ものでは学部生の私には、到底手に負えないということを実感しました。

やはり、壮大なテーマですね。

ですが、だからといって諦めもつかず、過去に日本の植民地とされていた地域なら、まだ
身近になるかもと考え、「樺太」に焦点をあてることにしました。

そしてまた、資料集めをはじめ、気になったことがありました。

「なぜ、満州や台湾の植民地研究の文献は数が多いのに、樺太は極端に少ないのか・・・
」

そう思ったのがきっかけで、「日本の植民地研究における樺太の位置づけ」的な内容をや
りたいと考えるようになりました。

しかし、これでもまだテーマが広範囲ということで、ゼミの教授のアドバイスを受け、地
理思想の観点から樺太をみていこうと思っています。

まとめると、「樺太を研究した地理学者の研究」といったところでしょうか。

またまたこれから先、変更などあるかもしれませんが、がんばって取り組んでいきます。

報告は以上です!
No.849 シンビルスクの怪 ニジェガロージェッツ [2010/04/28(水)00:24:15]
らるふさん,いつも書き込み有難うございます。

: 先日わが家の地図帳、昭文社グローバルアクセス1996年4月1版4刷発行を何気に見ている
: と「シンビルスク」の表示がありました。

私も昭文社の地図帳を2冊持っていますが,どちらも『シンビルスク』と書かれています
。因みに2冊は「グローバルアクセス」1997年7月1版1刷発行と,「なるほど世界知図帳」
2004年2版3刷発行です。また,帝国書院の地図帳「綜合地歴新地図」平成6年8月30日発行
には『シムビルスク』と書かれています。

: ソ連崩壊後、こんな情報が入っていたんでしょうかねえ・・・。

思うに,ソ連時代に同じヴォルガに面した共産党人名由来の地名が上流からカリーニン,
ゴーリキー,ウリャノフスク,クイビシェフと連なっており,ソ連解体の直前にウリャノ
フスク以外はいずれも,トヴェーリ,ニジニ・ノヴゴロド,サマーラと改称(還称)され
ているので,これらと混同したのか,またはそのような誤報があったのかと。

そこで,ソ連解体の四か月後の平成4年4月25日に帝国書院から発行された,その名も「ソ
連崩壊後のワールドアトラス」を見れば,上記4都市は「トベリ,ニージニーノブゴロド
,ウリャノフスク,サマーラ」と正確な情報で書かれていました。
となれば,カリーニン,ゴーリキー,クイビシェフとの混同ではなく,別情報としてウリ
ャノフスク→シムビルスクがあったのかとも考えられるのですが,謎です。

なお,上記4都市はいずれも州都ですが,州都ではウリャノフスク市以外ではキーロフ市
とカリーニングラード市が共産党人名由来の都市名で今でも残っていますが,ソ連解体後
に一時としても旧名のヴャトカやケーニヒスベルクとの誤表記は見たことがありません。
ウリャノフスクだけ,なぜ?

面白いところでは,ヴォルガの百万都市クイビシェフ市は旧名のサマーラに,また,同じ
ヴォルガ中流にもう一つ存在した人口1万に満たないクイビシェフ市もボルガル市に改称
されましたが,西シベリア・ノヴォシビルスク州のクイビシェフ市は旧称カインスクに戻
らず,今でも唯一のクイビシェフ市として残っています。
ところが,この市の公式ウエブサイトの名は“KAINSK-TODAY”
http://www.kainsk-today.ru/
街の情報サイトのアドレスも,「シベリアのカインスク」と言ったアドレス
http://kainsksib.ru/
になっています。
この市では,公式名称こそクイビシェフのままですが,市民感覚ではカインスクとも呼ば
れているのかも知れません。

ウリャノフスクの場合も,市民感覚ではシンビルスクと名乗りたがる住民もいることは想
像でき,特に共産党やレーニンに否定的な感情を持っている市民はなおさらでしょう。
そういえば,ロシア革命勃発後に一時成立した臨時政府代表でレーニンの政敵ケレンスキ
ーもシンビルスク出身でした。
No.848 シンビルスク らるふ [2010/04/26(月)23:23:42]
先日わが家の地図帳、昭文社グローバルアクセス1996年4月1版4刷発行を何気に見ている
と「シンビルスク」の表示がありました。書店で同社の最近の似たような地図帳を立ち読
みすると、ちゃんと「ウリヤノフスク」となっていました。う〜ん、何ででしょうね。
試しに「シンビルスク」でヤフー検索してみると、YAHOO!百科事典にこうありました。
「1924年までシンビルスクの名でよばれ、レーニンの本名ウリヤノフを市名として採用、
ソ連時代はウリヤノフスクとよばれたが、ソ連崩壊後ふたたび旧称に改めた。」
ソ連崩壊後、こんな情報が入っていたんでしょうかねえ・・・。
参考: http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AF/
No.845 Re: 続トリヤッチ ニジェガロージェッツ [2010/02/28(日)00:54:48]
らるふさん,レス有難うございます。

実は14年前の夏にトリヤッチの市街には入っていませんが,すぐ近くまで行ったことがあ
ります。
場所はヴォルシスキー町の川辺で毎年7月の初めに「グルシンスキー・フェスティバル」
という,国民的な野外音楽コンサートがあり,これを見にテント装備で行ってきました。
日本ではほとんど知られていませんが,この時もロシア各地から7万人ほどが集まってい
ました。

前日に投錨していたタタルスタンの東部の町から,ここへ行くのにサマーラ州の平原地帯
を北東から南西方面に縦断したのですが,このあたりはステップ地帯とでも言うのか,起
伏も少なく,木々も疎らな,一面が麦畑と野原いった様相でした。ただ,農地で働く人影
は見かけませんでした。同行していたロシアのオッサンが一言。
「おお,これこそロシアだ。広大な麦畑に,しかも誰も働いていない。ガハハハ・・」

: 話は変わりまして、グーグルでもヤフーでも航空写真で見ると、トリヤッチの北西郊外に
: 円形の農地がいくつかあるようです。北米大陸中部の平原で多数見かける「センターピボ
: ット」と呼ばれる農法でできた農地だと思われます。

ご紹介いただいたセンターピボットはこの地には水源となるヴォルガ河(クイビシェフ人
造湖)もあり,もってこいの農法かも知れません。
#それにしてもよく見つけられましたね。さすがはらるふさんです。私にはとても・・・

: レーニンさんとしては、自分が捨てた本名が故郷の地名を乗っ取ってしまうというのは、
: どんな気分なんでしょうね。

レーニン(ウリャノフ)の死が1924年1月21日で,ペトログラード市がレニングラード市
に改称したのが1924年1月26日,シンビルスク市がウリャノフスク市に改称されたのも同
年のことで,ともに死後のことで本人の預かり知らぬところでしょうが,レーニン自身は
自分が偶像化されるのを嫌っていたと聞きますから,氏が知れば良い気がしないかも知れ
ないですね。
そういえばブレジネフ市,アンドロポフ市,チェルネンコ市も,お歴々の死後に一時的に
存在(いずれも既存の都市を改称)していますね。
存命中の権力の絶頂期にスターリノ市(ウクライナ・現ドネツク市),スターリノゴルス
ク市(現ノヴォモスコフスク市),スターリングラード市(現ヴォルゴグラード市),ス
ターリンスク市(現ノヴォクズネツク市)を連発した独裁者は例外といったところか。

ところで,日本語では「レーニングラード」とは書かずに原音のアクセントに近い「レニ
ングラード」と書いているのに,なぜ「スターリングラード」と書くのだろうか?「スタ
リングラード」の方が原音に近いのですが,日本においてもスターリンの名は特徴的だっ
たのか,存命中の改称だっただけにどうしても「スターリン」とそのまま入れてしまった
のか?

: ところで、ヤフーの地図ではウリャノフスクの日本語表示が「シンビルスク」となってい
: ます。なんでかな?(英語表示はUljanovskになっていますが)

なんででしょう(笑)
ロシア語のウィキペディアのウリャノフスクのページによると,2008年に市長が1924年の
改称は住民の意見を考慮せずに政治的に判断されたものとして,歴史的なシンビルスクに
戻すのに賛成だと述べたのですが,アンケートによれば当のウリャーナヴェッツの多数は
反対だとか。
知ってのこととすれば,日本のYahoo地図担当者の「勇み足」かも。

: 「グラード」と「ゴロド」は語源が共通なのかな、とか「ノヴゴロド」は
: 「新開地」みたいな感じかな、など勝手な想像
をしています。

細かなページにまで目を通していただき恐縮です。まさしくおっしゃる通りでございます
。
「グラード」も「ゴロド」も都市のことです。
「ゴロド」は「市」そのもので,例えば「モスクワ市」は「ゴロド・モスクワ」(原音に
忠実に書けばゴーラト・マスクヴァー)を意訳したものです。
「ノヴゴロド」はノーヴイ(新しい),ゴロド(都市)のことですから,確かに「新開地
」ですね。「ニュータウン」と言うと郊外の衛星都市のイメージがあるので,ちょっと違
うでしょうか。
とはいえ,ノヴゴロド(現ヴェリーキー・ノヴゴロド)という都市は9世紀に創建された
ロシア最古の都市の一つです。

日本でも「新」がつく所は戦前に賑わっていた古い歓楽街だったり・・新開地,新世界,
新京極とか。
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ニジェガローツキー・ドヴォール